源頼朝(みなもとのよりとも)も通った湯坂道(ゆさかみち)鎌倉時代(かまくらじだい)になると、それまで使用(しよう)されていた足柄峠(あしがらとうげ)を越(こ)える足柄道(あしがらみち)から、箱根山(はこねやま)を越(こ)える湯坂道(ゆさかみち)が開(ひら)かれました。

 

これは、湯本(ゆもと)から湯坂山(ゆさかやま)に登り、浅間山(せんげんやま)・鷹巣山(たかのすやま)を越(こ)えて芦之湯(あしのゆ)に下り、箱根権現(はこねごんげん:注1)を経て箱根峠(はこねとうげ)を越(こ)え、三島(みしま)へと下るもので、幕府(ばくふ)を開(ひら)いた源頼朝(みなもとのよりとも)の箱根権現(はこねごんげん)への参詣道(さんけいどう)として整備(せいび)されたものでしたが、足柄道(あしがらみち)よりも近道だったので、多くの旅人(たびびと)がこの道を利用(りよう)するようになりました。

そのため山のふもとにある湯本(ゆもと)は宿場町(しゅくばまち)としてもにぎわうようになりました。

 

この湯坂道沿い(ゆさかみちぞい)にある精進池(しょうじんがいけ)のほとりは、厳(きび)しい山道であるうえ、火山活動(かつどう)による噴煙(ふんえん)がたちのぼる荒々(あらあら)しい風景(ふうけい)が広がっていたことから、旅人達(たびびとたち)はここをあたかも「地獄(じごく)」かのように見なし、救(すく)いを求(もと)めて池の周辺(しゅうへん)に多くのお地蔵(じぞう)さんや石の塔(とう)を建(た)てました。これらの石仏・石塔は現在(げんざい)も残(のこ)されていて、国の文化財(ぶんかざい)に指定(してい)されています。

 

戦国時代(せんごくじだい)になると、箱根山一帯(はこねやまいったい)は北条氏(ほうじょうし)の支配下(しはいか)になりましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原攻(ぜ)めにより北条氏(ほうじょうし)は滅(ほろ)びました。

 

この時、秀吉(ひでよし)は、湯本(ゆもと)の早雲寺(そううんじ)に本陣(ほんじん:注2)を構(かま)えましたが、底倉(そこくら)には秀吉(ひでよし)が入浴(にゅうよく)したと伝(つた)わる「太閤の石風呂(たいこうのいわぶろ)」もあります。

 

(注1)箱根権現(はこねごんげん)

神社(じんじゃ)。

(注2)本陣(ほんじん)

戦場(せんじょう)で大将(たいしょう)がいるところ。